匠町の浄光寺(1)

この浄光寺は、還源山妙覚院浄光寺といい、天台宗の古刹です。寺名の由来は、山号が米庵書
の山号額の還源山。院号は、本堂四つ柱正面の妙覚門の額で、弘法大師真蹟と伝えられる妙
覚院から名づけられています。延応二年(1240)日光山の本坊として光明院が創建されました。
応永年中(1400頃)に光明院が断絶したとき、仏岩にあった光明院の六坊中の浄光坊を善女神
谷に移し、一山の菩提寺であった仏岩の往生院と合併させ、寛永十七年(1640)には、現在の地
に移ることとし、その際、この地域の菩提寺も兼ねることになり、現在に至っております。
本堂は、昭和四十八年(1973)に増改築されましたが、内陣は、江戸期のものをそのまま残し居
り、ご本尊は、春日仏師作と伝えられる阿弥陀如来三尊坐像です。境内には、この寺の長い歴
史を物語る史跡が数多くあります。
参照文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編『日光の故実と伝説』星野理一郎
著『日光 社寺と史跡』沼尾正彦著

浄光寺参道と道しるべ
浄光寺山門

浄光寺本堂弘法真筆の
「妙覚門」の額
嘉元二年(1304)刻銘
の青石の板碑
門額「還源山」
(幕末三筆市河米庵揮毫)
日光山最古の梵鐘憾満親地蔵御首
菅笠日限地蔵尊導き地蔵尊<
日光火之番防火隊碑文豪連理塚
座禅院権別当の墓武田久吉墓
参照文献:『もうひとつの日光を歩く』

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