匠町の西町太子堂(1)

この太子堂は、聖徳太子が祀られております。なぜ聖徳太子が祀られているのかと
申しますと、聖徳太子が諸国の名工を集め、技術の粋を尽くした法隆寺を建立した
ことにあやかり、技術の向上を願って信仰することになったということです。因みに、
この西町太子堂は、日光の西町に住んでいるいろいろな職種のいわゆる職人達
が、講を作り、お堂を建立し、太子をお祀りしているものです。
古い記録によると、最初の祠が建てられたのは、元和三年(1617)から安永四年
(1775)の間で、その後、数回立て替えられて、現在の祠は、昭和六十二年(1987)に
建立されました。嘉永二年(1849)の送り帳も残されています。
通常、太子の忌日(旧暦二月二十二日)をもって祀り日とするが、西町太子講では、
五月二十二日に、太子会(聖霊会)を行っています。

聖徳太子は、用命天皇の第二皇子、母は、穴穂部間人皇后。名は、厩戸豊聡耳皇
子、聖徳太子は諡名。上宮王ともいう。叔母にあたる推古天皇の摂政として内外の
政治を整備した。冠位十二階を定め、憲法十七条を制定。仏教の興隆に尽力し、諸
国に寺院を建立する等多くの業績を残され、「日本のお釈迦様」とも言われ、多くの
人々に信仰されています。

正面からの西町太子堂
左横からの西町太子堂


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