本町の妙道院釈迦堂

妙道院釈迦堂
表門からの妙道院釈迦堂
正面からの妙道院釈迦堂1
境内は桜が美しい、一寸桜を入れたが美しさ
が出ない! 特に表門に掛かる枝垂桜が見事!

正面からの妙道院釈迦堂2
正面からの妙道院釈迦堂拡大


左後方からの妙道院釈迦堂

釈迦堂(栃木県指定文化財)創立年代は不明。山内地内の仏岩谷の開山堂わきか ら、寛永18年(1641)妙道院とともに現在の地に移された。妙道院は明治初年に途絶え た。本尊は釈迦如来坐像で、脇侍として文殊、普賢の両菩薩を安置し、天海大僧正の 像も祀ってある。7月13日に輪王寺により盂蘭盆会の法要が営まれる。以上案内板 次に、別資料から妙道院釈迦堂立派な表門の奥、朱塗りのお堂が、釈迦堂である。
宝形造り五間四方の堂の前には、枝垂桜の老樹がある。春、美しくその花が咲いて、 ひと頃境内が華やぐ。釈迦堂の創建年代は不明だが、はじめは山内の中山谷(現、 御仮殿の地)にあった。その後、仏岩谷の開山堂南側に移転。天海が、寛永5年 (1626)同所に建立した一山の菩提所妙道院とともに寛永18年(1641)現在地に移転さ れた。この移転は、幕府の命によるもので、妙道院2世住職祐誉上人の時である。(栃 木県指定文化財)寛永20年(1643)天海が上野東叡山で遷化。遺骸は日光山に運ば れ、天海ゆかりのここ妙道院釈迦堂に安置。7日間にわたる法要の後、大黒山の慈眼 堂墓所に埋葬された。貞享元年(1684)の日光大火の際、妙道院は釈迦堂と石塔を残 して消失。その後、将軍家御成御殿を拝領して房舎を再建した。しかし、明治の廃仏 毀釈の波にもまれて荒廃し、現在は釈迦堂と門を残すのみとなった。本尊は釈迦如 来、脇侍は文殊、普賢の両菩薩。また恵心僧都の作と伝えられる阿弥陀三尊があ る。堂の中央には、「当山開基勝道菩薩」という位牌があり、右方には慈眼大師の像 が安置されている。表門には、貞享元年(1684)の大火で消失し、同4年(1687)に再建さ れたもの。その後、正徳元年(1711)造替との記録がある。バランスのとれた四脚門は 江戸建築の基本様式の一つ。(栃木県指定文化財)枝垂桜の下の宝篋印塔は明和5 年(1768)の建立。広い境内には殉死の墓、徳川譜代家臣の墓をはじめ、たくさんの石 碑や回向物が苔むしている。それらには元禄年間(1688〜1703)、宝永3年(1706)、延 宝2年(1774)などの年号が刻まれている。また堂の裏手には妙道院歴代住職の墓碑 20数基が、様々な形、大きさで並んでいる。
参考文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編


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