本町の延命地蔵尊

延命地蔵尊(犬牽地蔵尊)
右前方からの延命地蔵尊
延命地蔵尊境内に多数ある地蔵中の二体


延命地蔵尊正面(碑には、【延命地蔵大士】とある)

湯の湖畔に勝道上人が自ら刻んだという石造の延命地蔵尊があった。室町時代のこ と、板橋将監という領主が、湯元に狩猟に出かけた。その折、地蔵を嘲り地蔵と犬を つないで、湖水に投げ込んだ。はじめ犬が地蔵を湖心に引いたが、やがて地蔵は犬 を引き岸に向かった。そのとき、激しい雷雨が起こり、犬は悶え死んでしまった。将監 や家来は口から血をが吐いて倒れたが、僧が駆けつけて地蔵を拝んだところ、一同 は助かり、地蔵を崇拝するようになった。それで、犬牽地蔵尊とも呼ばれる。中宮 祠・湯元地区は、女人禁制であったため、江戸時代に上人ゆかりの現在地に移され た。犬牽地蔵のお話延命地蔵尊は「犬牽き地蔵」とも呼ばれ、次のような話が伝え られている。話は奈良時代にさかのぼる。勝道上人一行が男体山頂を目指す途中、 田母沢川さしかかると急流で水量も多く渡れない。思案にくれていると、雲の中から地 蔵尊が現れ、「勝道よ、そなたの望みが大きいだけに苦労も多いだろう。しかし、それ にくじけず勇気を出して進め」と励ました。一行はこれに力を得て、男体山登頂に成功 し、湯元温泉まで発見することができた。上人は、これもみな地蔵尊のお陰と自ら石像 を刻み、湯の湖の兎島にお堂を建てお祀りした。これが「延命地蔵尊」である。時は流 れ、室町時代。日光神領の板橋宿に、板橋将監という気の荒い領主がいた。ある日、 家来を連れて奥日光に狩に来て、湯の湖畔で獲物を肴に酒宴をはじめた。酔いがま わった将監は、兎島に延命地蔵尊があるのに目をつけた。「世の人は、石でできてい る地蔵を仏様だと拝むが、本当に仏様なら犬より強いはずだ」と家来に命じ縄で地蔵 尊と犬をつなぎ、湖に投げ込んだ。犬は必死で地蔵尊を引っ張りながら泳いで行く。将 監たちは手を叩いて「やれ、地蔵が犬の引かれるぞ。やっぱり地蔵はただの石ころ だ」と笑い転げた。ところがその言葉と同時に地蔵尊は湖面に立ち上がり、今度は犬 を引っ張って岸に向かい滑り出した。驚いた将監は「地蔵を岸にあげるな!突き落と せ!」と叫んだ。家来たちが岸に近付いた地蔵尊を棒きれで突き落とそうとした。その 時、一転にわかにかき曇り、雷鳴天地も裂けんばかり。将監たちは体がしびれ、血を 吐いて倒れ、犬ももだえ死んでしまった。近くで山仕事をしていた木こりが驚いて中禅 寺にかけ下り、僧侶にこの様を告げた。僧侶たちは、すぐに湯元に行き、地蔵尊を元 の堂内に安置、謝罪の読経をした。すると、空は晴れ上がり、将監たちの体も元に戻 った。将監は地に伏して、これからは荒々しい行いをやめ神仏を敬うことを誓った。こ のことがあってから、この地蔵尊は「犬牽地蔵」と呼ばれるようになったという。
参考文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編


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