憾満ヶ淵は、不動明王が出現する地であるとの伝説を持っていたので、ここを開いた 晃海僧正は、大谷川に面した植物園の出っ張りに2メートル余の不動明王の石像を 建てた。また、能書家といわれていた養源院三世の山順僧正に頼んで、その岩盤に、 約60センチメートル角の大梵字で「カンマン」と刻ませた。更に、対岸の奇岩の上に 堂を建て、「霊庇閣」と名づけて護摩壇を作り天下泰平の祈祷所とした。 この憾満の地は、明治三十五年(1902)の大谷川空前の大洪水で様々なものが流 出、昔の面影はない。また、何時の間にか不動明王も姿を消したと昭和三十五年発 行の「日光の故実と伝説」には書かれてある。 しかし、昭和四十八年(1973)に「慈雲寺」、「霊庇閣」が、復元され、幾分なりか、往時 を偲べるようになったと思われる。 大梵字「カンマン」は、山順僧正が修学院学頭の時、延宝八年(1660)から元禄四年 (1691)の十一年の間に書かれたもので、この文字は、「弘法の投げ筆」と呼ばれてい る。 |
衣でも しぶきにぬれて 大谷川 |